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霊能力者への相談に役立つ豆知識

哲学(知識、考え)

自然とは?自然の哲学について考えてみる 092shizen_tetugaku 

 

自然というものを哲学的に考える前に、自然には、人間には理解できない不思議な力としての自然と言う呼び方と、草木や花などの自然があるが、このページで考える哲学と言うのは、後者における草木や花などの自然に対して考えてみたいと思う。

自然の中に機能だけを求めるのであれば、造形物としての形などは必要はないであろう。まるで人間が作り出す工場のような姿の方が効率が良いはずだ。

ただし、自然の中には、様々な形の造形物がある。

自然の中には、バランスの力によって成り立っている姿もあるであろう。よくある例え話しがある。

ある小さな島にヤギがいる。島にある草をヤギが食べれば、多くのヤギが生まれる。多くのヤギが誕生すれば、島にある草をすべて食べ尽くしてしまうであろう。そうなるとヤギは食べる草をなくして、死滅していく姿も現れる。

ヤギが少なくなれば、再び、草が大地に広がり始める。実際に草が絶滅をし、ヤギも絶滅してしまう話もあるが、多くの姿はバランスによって成り立っているであろう。

自然のバランスについて考える場合、バランスとは何かについて考える必要性がある。人間の生理機能で言えば、暑くなれば汗をかき体温を下げ、寒くなれば、熱を逃がさないように、血管の面積を縮めたり、体を震えさすことで熱を生み出す働きなども起こすであろう。

2つの力の作用が、バランスを作り出していると呼ぶことができる。その2つの力というのは相反する力だ。東洋思想で言う陰陽の力だと言っても過言ではない。

自然界には、生や死などの相反する力なども含め、多くの相反する姿があるであろう。男や女などももちろん、黒い鳥などもいれば、白い鳥などもいる。

相反する内容について考えた場合、平面に対する相反する姿が何かについても考えてみよう。平面対する相反する姿は、針の尖ったような姿だと言えのではないであろうか。

平面と針の尖った姿のバランスの姿というのは何かについて考えた場合、それはまさに、曲線を描いた姿であろう。

草花などの姿を見てくれたまえ、葉っぱなどの多くは曲線を描いているではないか。真四角の四角い葉っぱやとんがった葉っぱなどはあまり多くない。

ヤマアラシなどの体の針はとんがっているとつっこまれそうだが、体そのものは柔らかい姿をしているであろう。

実際にあるのかどうかはここでは断言できないが、真四角の木などは無いように思われる。ほとんどの多くが、曲線のある丸い形をしているはずだ。

私がここで言いたい内容は、自然のバランスというのは、機能的な内容におけるバランスのみではなく、形姿としてのバランスも存在してるという話である。

自然に触れると、体が健康になると言う話があるだろう。スピリチャルな目線で、自然の気が体に良い影響を与えてくれる場合もあるが、ただそれだけではない。

自然が作り出す、曲線的な姿を見ることで、そのバランスが心にも影響を与え、心のバランスが整うことで体にも影響を与え、体のバランスが整うことで体を健康にさせている姿などもあるはずだ。

このような話を聞けば、自然などの森などを歩く際は、ただ、新鮮な空気を吸うだけではなく、自然が作り出す形、葉っぱなどの姿にも意識を向ける思いが大切だと理解することができるであろう。

自然が作り出す造形物には、それを考えた意思を持つ物がいるはずだ。自然界にある形を感じれば、それを考えた意思を持つ物と同じ思いを抱くことができる。

神の思いというのは、何も神社やお寺などに行かなければ、感じることができないわけではなく、自然に触れることでその思いを同じように感じることができるはずだ。小さな草一つに対しても、考えた神の思いがそこに存在する。

哲学的にまとめると、自然というのはバランスのたまものであり、もしかすれば神というのは、バランスそのものかもしれないであろう。日々の生活の中で、バランスを意識すれば、豊かな人生と変えることができるかもしれない。




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地獄は存在しない、する、どっちが正しい?  地獄 

 

地獄というような世界は、日本だけで語られている内容ではなく、世界各地で語られてるような話であろう。地獄が存在するかしないかについて、霊的な感性を感じる中、哲学的な説明によって考えてみたいと思う。

日本人が抱く、一般的な地獄のイメージは、火の中に入れられたり、閻魔大王に舌を抜かれてしまうような地獄をイメージされるであろう。

このようなイメージは、実は、昔の日本人の坊さんが、自分自身で考えた内容だ。その目的は、はっきりわからないが、このお坊さんは絵を描くことが好きだったと言われる場合もあれば、争いをなくし、人々に倫理感を持ってもらう思いの中で考えたとも言われているのだ。

ただし、どの世界でも、地獄というのは苦しみだけの世界だと思われるであろう。これもまたただし、中には、天国でだらだらとした生活を送るよりは、地獄の中で精神力を鍛え、そちらの方が天国だと判断する人もいるかもしれない。

現代におけるスピリチュアルを語る人の中には、そのような地獄はないと説明されている場合もある。私自身も、火の中に入れられたり、閻魔大王に舌を抜かれてしまうような地獄はないだろうと考える。

ただし、そのような地獄は無いが、違った形の地獄はあるだろうと考える。

例えば、現生において罪を犯した人は、あの世に帰った時に、自分が犯した罪に対して罪悪感を感じ、カルマを背負うことで、次生まれてくるまでの間、罪悪感を感じ続ける地獄があるはずだ。

自殺をされた人も同じである。もっと違う形で、生きる方法があったのではないかと考える場合もあるであろう。後悔をし続ける地獄もある。

一般的に罪というのは、現世の法律によって反する内容だと考えてしまう。ただし、法律に違反せず、人生を豊かに暮らし続けた人にも地獄が待っている可能性があるのだ。

あの世へ帰れば、自分自身が現世で経験をしたことを知ることになり、亡くなった後の現生での姿も、霊能力者のように知れる場合もある。

現生においてお金持ちだった場合は、もっと人のためにお金を使い、人々に貢献ができたと、自分自身の誤った生き方に対して後悔されてしまう場合もあるはずだ。

人の生き方としては、あの世へ旅立った後にも後悔しないように、現世で出来る経験は一つでも多く行っておくのが大切なのだ。

あの世の世界というのは、感じる世界であり、心の世界だとも言われている。心を成長させるのが、魂の目的であり、様々な経験をするのが望ましい姿なのだ。

何も経験をしないというのは、時間が止まったような状態でもあり、意味のない姿だとも言えるであろう。

これは生きてる人も、生きてる間に実感することができる。大人になれば、時が経つのが早く感じるのは、学生時代よりも学ぶ知識が少なく、心に残るような経験が少ないためである。経験の積み重ねの少ない姿が、時を早く感じさせていると言っても過言では無い。

そのような話による意義からは、現代人の多くは、何かしらやり残した後悔における地獄を見るであろう。地獄を見たために、来世生まれ変わりたいという欲求が現れ、人は輪廻転生を繰り返すのかもしれない。

悪霊などや浮遊霊なども、大きな目で見れば、地獄にいる考えられる。苦しみがあるからこそ、欲が生まれ、現世に執着し、現世から離れない姿が現れているためだ。




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パラレルワールドは実在するのかしないのか  パラレルワールド 実在 

 

パラレルワールドは存在するのか?しないのか?については、私自身、パラレルワールドの世界を移動できないため、その事実については知ることはできない。仮に、パラレルワードが存在した場合、存在するのか?存在しないのか?については、科学的に証明することもできないであろう。

そのため、パラレルワールドの存在については、哲学的な考えから考えてみたいと思う。

仮にパラレルワールドが存在するならば、いつからその状態が始まっているのかについて考えなければならないであろう。現に今でも、パラレルワードが生まれているのかについても考える必要性がある。

パラレルワールドが存在していると言っている人の中には、この世が生まれるビッグバーンの爆発から生じていると言われ、現在でも、無限に誕生するようなパラレルワールドが生まれていると言っているのだ。

私はこの言葉に、少し疑問を感じていた。ビッグバーンから無限に誕生する世界というのは、法則や仕組みによって作られている、この地球というものが存在するかについてだ。様々な方向へと世界が広がるため、太陽系や地球が存在していない世界は、もちろん、無限にたくさんあるであろう。

仮にそのような中で、地球というものが存在するのであれば、サイコロの面が無限近くあり、サイコロ振ったところ、奇跡の中の奇跡的に、その一面が現れた姿が、現在の地球がでた世界だと判断することもできる。

仮に、現在私たちがいる世界が、無限に広がるパラレルワードの中の奇跡の中の奇跡だとすれば、どのような霊能力者であろうとも、頻繁に未来を言い当てるような霊能力者はこの世に存在しない事にも繋がるはずだ。

なぜならば、今現在でも、無限に広がるパラレルワードが生まれているのであれば、霊能力者が言った内容が外れる違った世界の方が、無限にたくさんあるためである。

現に私は、霊能力者に言われたことに対して、いくつも未来が当たった内容などもある。テレビで紹介されている霊能力者の中にも、未来を言い当てた霊能力者も数多くいるであろう。

このようなことから、私自身は、パラレルワールドの存在について不定的であり、そのような世界は存在するはずがないと思っていたのだ。

そのような思いを抱いてる中で、木を見てふと思った。木には枝があり、様々な方向に分かれているではないか。

木は、地球にあるが、大きな目で見れば、宇宙空間の中にあると考えることもできる。宇宙には、分岐点という概念を持ち合わせている。

このようなことから、もしかすれば、パラレルワールドが存在するのではと考え始めたのだ。

パラレルワールドは、常に無限に広がるのではなく、何かしらの原因によって枝分かれする考えもあるかもしれない。

このような疑問を持ち始めた中で、私自身、半ば半分ぐらいの確率の中で信じている、未来人対する情報があったのだ。

私自身半分ぐらいの確率で信じている理由とは、この世を作ったのは、超文明的な科学的知識を持ち合わしておかなければならず、その中の一つとして、未来人である可能性があると考える場合もあるためである。その話をすると、ページのタイトルと脱線をし、話が長くなるため、その話は置いておこう。

この未来人は、現代に現れ、パラレルワールドについても説明されているのだ。現代に現れた未来人において、現代で未来人自身の存在が失ってしまいそうな事を行っても、私自身は消えることはないと説明されている。

例えば、この未来人が生まれてくるはずの、両親を現代において、結ばなくさせても、この現代からは、生まれることはできなくなる。それは違うパラレルワールドが生まれたことであり、私自身には影響はないと説明されていた。ただし、未来においては、倫理的な内容として、あまりそのようなことは行ってはならないとされているのだ。

その未来人がいる未来に対しても、パラレルワールドの考えに意見が分かれているそうだ。

そもそも、パラレルワールドが生まれる分岐点というのは、すでに存在していたという考えと、何かを原因にして、新たに違うパラレルワールドの世界が生まれると言う考え方である。何かを原因の中には、未来人が現代へ訪れる原因などもあるであろうとも説明されている。

私は、世の中は、丸を描くように無限に同じ時を繰り返していると考えているのだ。そのため、未来というのは過去であり、すでに起きた未来であるからこそ、霊能力者は未来を知ることができると判断をしていた。

この、パラレルワールドにおける話が事実であるとするならば、無限に同じ時を繰り返している世界もあれば、木の枝のように、先の先端には何もない、世界が終わってしまった時間軸もあるかもしれないであろう。

この話あくまでも哲学的な話であるため、空想上の物語を楽しんでるつもりで考えてもらえばと思う。



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映画π ネタバレについてを霊能力者の目線で紹介 映画 Π ネタバレ 

 

映画の話のネタバレ話しになるが、過去の映画にπと呼ばれる映画があった。その映画のレビューなどには、理解ができないという情報などもよく見られる。物語として理解できない内容ではなく、πの真実について理解できない人が多いようだ。私自身も、理解できない内容があるが、理解できる部分もあるため、映画の話について紹介させていただこう。

この映画は、あえて、白黒のみで作成された映画である。主人公は、引きこもりがちな超天才数学学者である。他人との接触を極力嫌うこの主人公は、扉に何十も鍵をかけて自宅に引きこもるほどの人間嫌いである。

この天才数学者は、すべての自然の法則は、何かしらの数式によって解き明かすことができるはずだと考え、そのことに没頭しようとするのだ。

人間嫌いではあるが、隣の住人の女の子とは中が良い。女の子が電卓を使い、様々な計算をこの主人公にさせる。もちろん天才数学者は、電卓などを使わずとも、女の子が言うすごい数字の計算を一瞬で解いてしまうという姿もある。

株価などの動きなども、その天才数学者にかかれば、株価の動きさえも計算によって判断することもできるのだ。

ある場所で、カバラの知識を持つユダヤ人の牧師から、神の存在というのは216と教わる。カバラとはユダヤ教の教えの中の一つであり、仏教で呼ばれる密教、哲学的な神の存在に対して表している知識とも言われている内容だ。迷信的な神々のあり方を説いているのではなく、出来るだけ具体的に論理的に解釈されている知識と言えるかもしれない。

この天才数学者は、自分のパソコンで、πの法則について、計算をし始めた。すると、216桁の数字が弾き出されたのだ。216桁の数字が弾き出されたとたん、そのパソコンは壊れてしまった。

ただ偶然に壊れたと思われたが、新しいのに変えても壊れてしまうのだ。

実はこの天才数学者には、人間嫌いであるが、同じ天才数学者の師匠がいる。その天才数学者にその話をすると、もうすでにその天才数学者は、216という数字に出会っており、研究するのをやめるように忠告をした。

忠告を無視し続ける中、周りに対して不思議な出来事が頻繁に怒り始めようとした。一般では考えられないかもしれないが、自分が消されてしまいそうな状況が、この計算をしている姿と関係があるのではと疑い始めたのだ。

そのような中、様々な考えてるうちに、この数学者は悟った。悟った内容を、師である天才数学者に語ったところ、師である天才数学者は日本の陰陽の話題に触れる中で、世の中の仕組みに対して主人公に説明をしたのだ。私の記憶が確かならば、この世界には、何一つ同じ状況というものはないだったと思う。それが囲碁の世界は現していると言っていたような記憶もある。

最後のシーンは、隣に住む女の子が、いつも行っていたように、電卓を持って主人公に計算を避けるのだ。最後は、分からないと言って、この映画は終わる。

私自身の記憶が曖昧であるため、少し事実とは離れていくかもしれないが、話の筋からすれば、だいたいこのような内容であったはずだ。

様々なレビューがされているが、その中には、神の領域に入ったため、神の怒りに触れたとも書いている内容などもある。理解できないという意見が圧倒的に多い。

東洋思想を少し学んでいる私自身はそうは思わない。この世の法則を含め絶対的な答えというのは、絶対に解いてはならない答えであろうと思う。

絶対的な答えを出してしまうとどのようなことが起きるか。人々はそう思う力が高まり、それを抑える抑制力が失ってしまうであろう。東洋思想である陰陽で考えれば、陽のみの世界となり、差が現れなくなることで、支える力がなくなり、全てが崩壊してしまう可能性もあるのだ。

この話も少し難しいかもしれないが、絶対的な答えというのは出してはならないことを、この主人公は悟ったと判断することができるであろう。そのため最後の言葉は、分からないで締めくくられている。

πと言えば、円を表す円周率だ。円周率は、無理数と呼ばれることもあるであろう。理とは、ことわりとも呼び、法則や仕組みなどの答えを現した言葉でもある。無理数というのは、それが無いと言っている言葉でもある。

仏教で、円とは、欠ける事がない真実を表している姿とも言われている。

少し話は変わってしまうが、心理学者のユングは、ある民族を研究している中で、不思議な民族に出会ったのである。その民族は、朝日が昇る太陽に神として崇めているのだ。頂上に上がる太陽は、神ではないと言っている。

この心理学者のユングは、あることを悟った。変化を起こす力こそ、神の意思であり、神の思いであると。

天才数学者の主人公が、自分の師である天才数学者に、パソコンが壊れる姿に説明をした時、それが神であると説明をするシーンがある。心理学者のユングが悟ったように変化を起こす意思が神であると伝える内容だったと私は考える。

私自身が理解できないのは、216という数字だ。私ごときがわかる内容であれば、多くの人が理解ができ、もしかすると世の中が崩壊してしまうような内容かもしれない。次元は216あり、その頂点に立つのが、全てを作り出した創造主なのかもしれない。

全くわからない内容であるが、全くわからない内容に意味があるとも考えられるだけあろう。

ここで疑問に思うのは、なぜ霊能力者は絶対的な未来について知ることができるのであろうという考えである。

よくよく考えれば、全く知ることができない絶対的な答えもあり、バランスを取るために、ある1部の人にだけに、絶対的な未来を伝えている姿も考えることができる。

このように考えれば、全地球人類に対して、全人類が霊能力者が未来へ発言する信じ込むような霊能力者は現れないといえるであろう。

少し難しい話だったかもしれないが、一度、πと呼ばれる映画をご覧になれば、一般の人が理解できない内容も、多少理解しながら、この物語を楽しむことができるであろう。

この映画が白黒映画として制作された理由の中には、絶対的な答えである白のみではなく、黒も大切だと言うメッセージなども含まれていると考えられる。



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輪廻転生はあるのか!?この世の存在している姿とは  輪廻転生はあるのか 

 

霊的な感性を持ち合わせていると、感覚を通して様々な知識や考え方が頭に入ってくる場合もあるのだ。新しく入ってくるそのような内容と、自分自身がすでに持ち合わせている知識などを比べる中、様々なことについて考える時間が多くなる。

カテゴリーの中に、哲学という項目を新たに作り、そのことについて紹介させていただきたいと思う。今回の内容は、輪廻転生っというものはあるのかについてだ。

一見輪廻転生というのは、仏教のみの考え方だと思われてしまうが、仏教にも大きな影響を与えている、仏教以前の宗教である、インドのヒンズー教にもその考え方はあり、古代エジプトにも輪廻転生の考え方はあったのだ。

輪廻転生があるのかについて考える前に、この世とは何か、なぜ、人は生まれてくるかについて考えなければならないであろう。また、輪廻転生を繰り返して生まれてくる場となる、この現世における世界は誰が作り出したのかについても、哲学的に考えなければならない。

私達の生きている世界にある自然の姿というのは、現実的にそこにあるのは事実であり、誰かしらの思考によって作り出されたのは事実であろう。

単なる偶然や、奇跡によって魔法のようにできたという考え方を持つ人がいるが、偶然からは必然的な仕組みは生まれない。どのような内容であろうとも、偶然から生まれたものは偶然であり、仮に、この世が偶然から生まれたとするならば、私たちが現在目にしている自然の産物というのは、偶然によってなり立たなければならないのだ。

少し難しい話をしたかもしれないが、偶然からは、DNA の設計図や、自然を保つ仕組みなどが現れることはない。

つまり、DNA の設計図の内容や、自然の仕組みが、必然的にプログラムのように働いているとするなら、この世界というのは、誰かが必然的に作り出したものになる。

誰かが作り出したとするならば、その誰かは一体誰が作ったのかという問題が現れてくる。仮に宇宙人が、この地球を作り出したとしたとしても、その宇宙人は誰が作り出したのかという、無限に続くような問題が生じてしまうのだ。

これは宇宙人のみではなく、違う次元にいる神が創ったとするならば、その神はいったい誰が作ったのかと、これまた、無限に続くような姿が現れてしまう。

卵が先か、鶏が先かという考え方に近いかもしれない。

人は輪廻転生を繰り返しているのかという問題の中には、人はどこまで、輪廻転生を繰り返していくのかについても哲学的な考えを持たなければならないであろう。輪廻転生には終わりがあるにかだ。

人の進化というのは、字が表すように、以前よりも進んでいる状態へと変化を遂げていく。

卵が先か、鶏が先かという問題については、仏教においては、すべては無限に循環をしているため、卵か先か、鶏が先かという問題はなく、無限に輪廻転生を繰り返し、生死を繰り返していると言われているのだ。

仏教においての考え方である、無限に繰り返される輪廻転生が本当に存在するのであれば、霊能力者としてある問題を解き明かすことができるのだ。

霊視や霊能力者に興味のある人は、一度、このようなことを考えてみたことはないであろうか。何故、まだ訪れていないはずの未来について知ることができるかについてだ。

四次元からは三次元に対して、三次元における時間を移動できるため、四次元にいる高級霊などは、三次元における過去や未来を知るという解釈がなされる場合もある。

ただしこの話にも、矛盾がある。たとえ時間が移動できるとしても、三次元においては、まだ未来は訪れていない。過去に移動は出来るかもしれないが、未来においては、未だ存在していないため、知ることができないはずである。

ただし霊能力者は、未来を知ることができる。何故、未だ訪れていない未来について知ることができるのだ。話は簡単である。未来は、すでに存在していたからだ。

この世が無限に循環されてるとするならば、未来というのは既に起きた過去であり、ただ私達はその無限の循環を、線路を歩くように人生を歩んでいる姿である。

この話によれば、輪廻転生先の未来は、今の現在の地点を通り過ぎていくであろう。

人はなぜ輪廻転生を繰り返し、進化を続けていくのか。

誰が、地球を作り出す知識を持ち合わせ、私達を創造されているのか。

私の勝手な哲学的な解釈であるが、神というのは未来に存在しており、神は自分自身で自分自身を創造している姿だと考える。

もしかすれば、次元も生きている存在であり、次元そのものが次の次元へと進化をする可能性もある。直接、下の次元に影響を与える事ができる上の四次元や五次元は、三次元における未来である可能性もあるであろう。

キリスト教では、神は自分を似せて人を作り出したと言われている。神は自分自身で自分自身を創造してるとするならば、この話というのは、まんざら迷信的な話ではないであろう。

私達が苦しんだり、楽しんだり、泣いたりしてるのも、神の心の一部分かもしれない。実はこの考えというのは、私自身の独断な考えではなく、仏教においての密教において、すでにこのような哲学的な考えはあるのだ。

天使も悪魔も、すべては神の一部分と言う考えもある。


ではなぜこのような考えがあるかについて考えてみよう。

このようなイメージをしてもらえばわかりやすいかもしれない。

真っ暗な無限に続く平らな平地をイメージしてみてくれたまえ。無限の命を持つ中で、その平地をずっと歩くと、何もない姿に、自分の存在すら感じることができなくなってしまうであろう。何兆年もそのような状態が続けば、存在そのものが失われてしまう。

ずっと、この暗い平地を歩く中で、白い小さな丸が現れた場合、その白い小さな丸に対して、そこに何かしら存在を感じることができ、その場から離れようとしないはずだ。

存在というのは、差があって初めて、存在することができる。これが存在という名の神の心だ。そのため、悪魔も入れば、天使もいる。悪魔がいるからこそ、天使が存在できるとも言えるであろう。

輪廻転生はあるのか、と話は少し脱線したかもしれないが、神の心の一部である人は、自分自身の存在を求めて輪廻転生を繰り返してると考えることができる。存在をするためには、差が必要であり、その差の中には、生と死の差もある。

差は、生と死以外にも、男と女、起きると寝るなど、私達の世界の身の回りにたくさんあるはずだ。この差の考えは、東洋思想である陰陽道の考え方と繋がる場所もあるかもしれない。

以前の姿と、進んでいる姿との差もあるだろう。野球などのスポーツにおける、強い、弱い、勝つ、負けるなども差があって成り立つものだ。

着用する衣装でさえ全ての人が平等が望ましいと考える共産主義が崩壊したのも、存在を求める思いに反する内容だったためだとも言えるのではないであろうか。

この考え方に従うのであれば、無限に続く不老長寿の薬は、現世において現れることはないであろう。

不老長寿の姿があるとするならば、それは、無限に輪廻転生を繰り返す、神の一部である私達の小さな心を含め、この世を作り出した創造主の心といえるであろう。

輪廻転生はあるのかについての、私の哲学的な内容は、少し難しい内容だったかもしれない。私自身がこの文章を、20代前半にみれば、何を言っている文章なのか理解できず、頭のおかしい人が言っている姿にも見えるであろう。

この考え方は、私自身が人生経験を積み重ね、霊感を働かせ、様々な知識に出会う中、また、仏教の知識や東洋思想の知識など、すでにある霊的な知識を学んでいく中で、自分自身このような結論に至った次第だ。

少なくとも、無限にこの世が循環しているのであれば、霊能力者が未来を知ることの内容については、多くの人が理解できるのではないであろうか。




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