霊能力者へ(霊能力相談/霊視相談)

霊能力者への相談に役立つ豆知識

スピリチュアル

スピリチュアルカウンセリングと占い師、霊能力者の違い 違い 

 

 霊能力者の違い インターネットでは、スピリチュアルカウンセリングや霊感霊視占い、霊能力者などとしての看板を掲げ、人々の相談に応じている姿がある。サービスを提供する側は、様々なことを学ぶ中で、自分自身に合った名前を使って活動されているであろう。

ただし相談者から見れば、スピリチュアルカウンセリングや、霊感霊視占い、霊能力者に対する知識があまり多くない中で、その違いについて分からない人もいるはずだ。

スピリチャルと霊感の違いについては、違うページでも紹介させていただいているが、そのことについても再び紹介する中で、その違いについて説明させていただこう。

ただし同じような行為であっても、好きな看板を掲げて活動されてる人もいる。例えば霊感霊視占いにもかからわず、スピリチュアルカウンセリングとして活動されてる人もいれば、スピリチュアルカウンセリングの内容であるにもかからわず、霊感霊視占いとして活動されてる人もいる。

国家試験などもなく、好きな名前を掲げて活動できるため、その違いについては、必ずそのような行為で活動しているとは限らないことを前提に説明させていただこう。

スピリチュアルという言葉は、精神的なという意味があり、何も霊的な内容を表している言葉ではない。カウンセリングというのは、心の悩みを解き放つ意味が強く、心を治療する改善していくアドバイザーといえるであろう。

スピリチュアルという言葉には、霊的な意味という意味ではないが、スピリチャルが高いというのは、相手に対して手助けをする精神が高いという意味があり、その様な思いがある高級霊の力を借りて、心の悩みを解き放っていく姿が強くある。

霊感霊視占いは、悩みを改善するというよりは、良くも悪くも、ありのままの結果を伝える傾向が高い。例えば好きな異性が、自分自身の事をどう思われてるのか、いつ結婚できますか?いつ出会いがありますか?などの問いに対する答えだ。

霊能力者として活動されてる人は、霊感霊視占いに近い活動をされてる人もいれば、亡くなった人のメッセージを直接伝えたり、前世を見たりできる人もいるであろう。中には、人に対して働きを行うのではなく、物に対して働きを与え、超能力のようなパフォーマンスをされる人もいる。

スピリチュアルカウンセリング、霊感占い、霊能力者をあえて分けて考えるとするならば、大きな目で見れば、このような違いがある。

内容ではなく、相談に応じる霊感の高い人が、自分の思いの趣旨によって使い分けている姿についても紹介させていただいておこう。

そもそも霊感という霊は、幽霊をイメージしやすい人もいるであろう。特に日本の幽霊は、怖い姿として表現される場合もよくある。人は生きる本能を持ち合わせているため、霊感霊視占いと聞けば、死に関わる内容として恐怖を抱く人もいるであろう。

人の相談に応じる自分自身が、人々から怖いと思われれば本末転倒である。そのため、そのような言葉は極力避ける意味として、スピリチャルカウンセリングとして活動されてるともいる。

現在の霊的な力、霊能力者の中には、従来よりも大学等に進学されてるとも多いはずだ。大学などで学ばれた知識は、相談先に対してアドバイスができる範囲が広がる場合もあるであろう。従来とは違う姿として、ただの霊感霊視占いと区別してもらうために、スピリチュアルカウンセリングと名を使って活動されているとも言えるのだ。

ただし、大学を出ている人や、スピリチュアルカウンセリングと同等のような相談に応じてる人の中にも、霊感霊視占いとして活動されてる人ももちろんいる。

スピリチュアルという言葉は、スピリチャルに関心のある人しか、その知識について知らない人もいるであろう。初めて聞く人の中には、どのような内容なのか全く見えない人もたくさんいるのも事実である。その様に考える人の中には、霊感霊視占いを看板に掲げ、活動されてる人もいるのだ。

占いという名前がついてるように、占いの知識についてもしっかりと身につけられている。

ここで疑問に思われる人もいるかもしれない。霊視能力のほどの力があるのであれば、占いの知識は必要ではないのではないかと考えることだ。

スピリチュアルカウンセリングによって、人の抱えている悩みなどは、霊視や守護霊からのメッセージなどを聞くことによって解決へ導くことができるようになるであろう。

ただし、方向性などに迷われている場合や、相手との性格上の問題、運勢などについては、霊視よりも占いの方がより良い情報が得れる場合もあるのだ。

霊感霊視占いを行ってる人の中には、霊視や守護霊からなどのメッセージをメインとして扱い、補助的にタロットカードや四柱推命などを扱われる人もいる。

実際に霊感の高い人へ相談をされる場合は、あくまでもこの名前は、参考程度の違いとして考えておくのもよいであろう。

そして自分自身の悩みに対して、その違いに合う相談者を探されるのが望ましい。

霊能力者についてであるが、全員、霊能力者である。これは、スポーツ選手として考えれば分かりやすい。同じスポーツ選手でも、サッカー選手もいれば野球選手もいるだろう。

あくまでも傾向であるが、スピリチュアルカウンセリングは、過程に対する悩み事、嫁姑との関係が悪い、人からいじめを受けている、人間関係がうまく築けない、自分自身が社会に適応できない悩み事を抱えている時などに利用する。

霊感霊視占いは、結果を求めたいときに利用するのが望ましいであろう。例えば、現在社会に適応することはできるが、好きな人がどのように思われてるのか、いつ恋人ができるのか転職する場合、転職することができるのかどうかなどの相談内容だ。

何度も念を押すが、これはあくまでも傾向である。スピリチュアルカウンセリングといっても、しっかりと未来に対する結果を伝える人もいれば、霊感霊視占いといっても、カウンセリングに近いご相談を心がけているともいるからだ。




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スピリチュアルから見た蜘蛛の象徴の意味 蜘蛛 

 蜘蛛という生き物は、好まれる姿というよりは嫌われる生き物として見られてしまう場合もあるであろう。スピリチュアル的な目線から蜘蛛について考え紹介させていただこう。

蜘蛛が多くの人に嫌われてしまう理由には、蜘蛛が巣を張って、部屋を汚くさせてしまう姿などもあるであろう。せっかく部屋を綺麗にする努力もしたにもかからわず、蜘蛛が巣を張れば、部屋を綺麗にした努力が無駄になる。

蜘蛛に限らず、多くの人は、黒い生き物に対して潜在的に怖いと感じる人もいる。カラスなども、どちらかといえば人々から嫌われてしまう生き物の一つだ。

黒い姿というのは、夜、暗闇に溶け込みやすくなる。どのような動きをしているのかは、よくわからない場合もあるであろう。情報がつかみにくい内容は、自分にとって危険を引き起こす可能性も高まる。スピリチャル的な考えで言えば、ただ黒いから嫌いではなく、深夜に情報を把握することができない不安が、黒い生き物は不安を与える生き物だとして潜在的に感じているためだ。

逆に人は、どちらかといえば、白い生き物を好む傾向にあるであろう。白い生き物は、深夜にもある程度把握しやすく、その動きをしっかりと確認できることで安心感を持つことができる。つまり、潜在的に人は、白い生き物=安心と考えてる可能性も高い。

人は、自分自身にできるだけ近い生き物に対しても安心感を感じやすい。自分自身に似てる生き物は、自分自身と同じ考えを持って行動をしていると判断しやすく、相手の動きに対して把握しやすくなるためだ。

相手の動きを把握できれば、その生き物に対して把握しやすくなる。

蜘蛛の手足は、人間とは全くかけ離れた姿をしているものであり、蜘蛛の動きに対して把握しにくい姿があるであろう。どのような行動を起こすのかわからない状況が、蜘蛛に対して怖いと判断してしまう可能性も高まるのだ。

少し話しは、脱線してしまうかもしれないが、人とかけ離れた姿の中には、イルカなどの魚たちがいるであろう。イルカなどは、多くの人から嫌われるよりは、多くの人から好まれる存在である。

ここで、人とかけ離れた姿について、私が言うことが矛盾してるように思われるかもしれない。

人の進化というのは、魚から進化してきた姿がある。精子と卵子が受精をし、胎児が成長していく中には、まるで今までの進化を一瞬で成長させるように、魚のような形から赤ちゃんへと体が作り上げられていく。

魚の動きというのは、本能的に知っている内容だと言えるであろう。海の中の生き物である、イソギンチャクなどは、動きが予測もつかず、触りたくないと思う人も多いのではないであろうか。

ワニなどの生き物は、4本足で歩き、どちらかといえば、人とは近い姿をしている。ただし、肌のかたさや、キバのするどさは人とかけ離れた姿をしており、それは人の生命を脅かす存在として嫌われる生き物である。

ゴキブリが嫌われるのも、他の昆虫よりも動きが早く、人の予測がつかない行動を起こすため嫌われてるのかもしれない。

蜘蛛というのは、嫌われるような存在であるが、決して人に対して嫌がらせをしてるのではなく、どちらと言えば良い行いを行っている場合もある。蜘蛛の巣には、ハエなどの生き物がかかる場合もあるであろう。

実際に、蜘蛛を使った害虫駆除なども過去には行われていたのであるのだ。

ハエは、腐敗している物によりつき、菌を持って、人々に害を与える場合もある。スピリチャル的に言えば、蜘蛛は、盾のように守ってくれる姿もあるのだ。

アフリカなどでは蜘蛛を神の使いとして、崇める風習がある場合もある。ゴキブリにとって天敵の中には、蜘蛛もいるのだ。

もしかすれば、人が蜘蛛を嫌う中には、巣にハエなどがつき、その姿が、蜘蛛の中の一つの形として映る中でけがわらしいと思われてしまうのかもしれない。

スピリチャルに関わる内容に対しては、夢占いとして、蜘蛛が夢に現れる話などもあるであろう。

蜘蛛は、多くの人から嫌われている存在であり、予測がつかない状況の中でストレスを抱えてる可能性も高い。一度巣にかかれば動きをとることができないため、四面楚歌の状態に置かれている可能性もあるであろう。

蜘蛛の立場から見れば、スパイダーマンのように、どのようなことを行ってでも、どうしても手に入れたい物がある可能性もある。例えば、恋愛感情において、相手の異性を奪いたいような思いを抱えてるような姿である。

夢に現れた場合は、悪い姿として現れている可能性が高いであろう。


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心霊スポットに対して霊能力者はどの様に考えるのか? 心霊 スポット 

 

心霊スポットと呼ばれる地域がある。霊能力者と言っても、個性があり、心霊スポットに対する考え方は人それぞれであろう。ここでは私なりの説明において、できるだけ納得、同意してもらえるような形として、霊能力者が考える心霊スポットについて紹介させていただこう。

心霊スポットというのは、主に2つの考え方がある。一つは、墓場などある特定の地域における、心霊スポットだ。もう一つは、何かしらの事故や自殺をされた方によって作り出される心霊スポットである。

共通して、心霊スポットだと言われる内容は、幽霊が出るという話であろう。

この幽霊は、悪霊と呼ばれる場合もあれば、現生に執着を行い現生をただよう幽霊だ。

よくよく考えてみてくれたまえ、現世で生きている人は、日々の生活の中で何かしらの欲求が満たされ、心のバランスがある一定保っている状況がある。

現世に漂う悪霊や浮遊霊などの思いは、生きている人よりも強い。

少し話は脱線するが、憑依されやすい人の特徴というのは、引き寄せる磁石のような力が強い霊感の高い人と、霊の考えや思いなどが似ているような波長が合う人である。

悪霊や浮遊霊などは、心の思いが強いため、霊感の高い人や波長が合う人は憑依を受けやすくなるのだ。

特定の地域が心霊スポット化する仕組みについて紹介させていただこう。そもそも、人類が人として進化する以前から、その地域は心霊スポットだったのかどうかについて考えなければならないであろう。

地球が誕生する以前から、その空間には、心霊スポットのような力を持ち合わせていたのかについても考える必要性がある。

よくよく考えれば、その地域が心霊スポットと判断しているのは人間であり、その地域において動物が死滅したり、自然の草木がすぐに枯れてしまうような地域ではないはずだ。

人間の思いが、心霊スポット化している可能性も高いであろう。

現世に限らず、過去において、亡くなられた方の誰かが現世に未練を残し、浮遊霊になってしまった人もいるかもしれない。多少霊感が高い人がその姿を見れば、人は亡くなればそこに行くと考え込んでしまった人もいるであろう。

その場所に多くの霊が集まることで、霊的な意味で、様々な霊の心がその地域に束縛され、心霊スポットとなっている可能性もある。

日本の文化で言えば、人が亡くなれば墓に入る考え方もある。実際の話として、亡くなった人の中には、自分自身に対してどのように対応すればいいのかわからず、墓に足を運ぶ人もいるそうだ。

迷信的な話の中には、人は亡くなれば、ある特定の地域に足を運ぶという考えもあるであろう。例えばある山を神として崇め、人は亡くなればその山に旅立つというような考え方だ。それを信じきっている人の中には、亡くなった後、実際にその山に足を運ぶ人もいるはずだ。

心霊スポットというのは、字が表すように、幽霊の心が集まっている地域である。

自殺された方の亡くなった場所が、心霊スポットとして呼ばれる場合もあるであろう。遊び半分で足を運んだり、車などでその地域の近くを走れば事故に遭うという話もある。

よくある話としては、亡くなった人の魂が、生きてる人の体に乗りうつり、自分自身の思いを理解してもらおうと、同じ状況へと導く話であろう。

自殺したところ、幽霊となっている自分の姿に理解ができず、自殺しきれない思いが、消え去りたい満たしたい思いを満たすために、人の体を使って再び同じ状況を繰り返す場合もある。

多くの霊能力者の方は、このように説明されるのがほとんどであろう。私自身も、このようなことはあるだろうと思うが、それが全てではないと感じて考えているのだ。

このように、亡くなった人の魂というのは強い心を持ち合わせているであろう。亡くなった人の魂が自らの意思を持ってそのような行動を起こさなくても、人々に強い影響を与える場合もあるのではと考える。

例えば、たくさんの濃い赤い絵の具を自殺された人の心だと考えてみよう。そのそばに、現世で生きている人の一般的な心を黄色があれば、黄色い色は、赤い絵の具の影響受け、赤に近い黄色となるはずだ。

魂が引き寄せられられるのではなく、珠に混じれば赤くなるという言葉があるように、一般の人の心に変化が現れていると言えるのではないであろうか。

このような考え方もあるかもしれない。亡くなった人の中には、亡くなった事を認めず、生きている人に気づいて欲しいという思いを持ち合わせてる人もいるであろう。

その地域が幽霊スポットとして知る中で、遊び半分で足を運んだ場合、少なくても遊び半分で足を運んだ人は、幽霊を意識しているため、意識されたい思いと意識してる思いが凹凸が一つになるように結びつき、憑依を受けることで体に負担を与える場合もある。

話は余談だが、霊感の高い人や憑依を受けている人は、心霊スポットに足を運べば気分が悪く、吐き気がして来る場合もある。

人の生理反応の中には、自分自身とは違う悪い物質が入ってくれば、それを吐き出そうとする反応がある。心にも同じことが言え、悪いと判断した場合は、吐き気がしてくる場合もあるのだ。霊能力者なみの意志を持たず霊感の高い人が心霊スポットに足を運べば、顔色がすぐに悪くなってしまう場合もよくある話である。

これらの内容はあくまでも、よく見られる姿としての心霊スポットだ。

沖縄にある有名な心霊スポットにおいては、少し変わった話がある。その心霊スポットに足を運ぼうと、まずはじめに、女性の幽霊が現れ、ここは危険だから帰りなさいと忠告をされる。

その言葉を無視して更に、心霊スポットに近づくと男性が待ち受け、男性から怒りを買うような状況に陥いる話だ。

この心霊スポットにおける話には、ある一部で加えて説明されている場合もある。ここは沖縄の霊能力者の修行場出あって、一般の人が足を運べば、良くないことが起きる事を知らせるための霊であると紹介されてる場合もある。

霊能力者の修行というのは、良くも悪くも様々な霊に憑依をされ、それに耐えれるだけの精神力を養わなければならない。この修行場かもしれない心霊スポットは、強い霊が修行者のために集まってくる場所である。遊び半分で一般の人がこのような場所に足を運べば、良くないことが起きるのも理解できるのではないであろうか。

現世で生きてる人でも、プロが行ってるところに遊び半分で素人が足を運べば、ここは素人が来る場所ではない、危険だから帰りなさいと言う話もあるであろう。




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スピリチュアルと霊感の違いについて、何が違う? スピリチュアルと霊感の違い 

 

スピリチュアルと霊感について同等の内容として扱ってる人もいるが、細かく言えば、その内容には違いがあるためその違いについて説明させていただこう。

霊感というのは、分かりやすくイメージすれば、体における筋肉、力だと思われても良いであろう。実際は、霊的な意味で感じる力が強く、引き寄せる力によって良くも悪くも様々な霊に憑依をされやすい力だとも言える。

スピリチュアルという言葉は、精神的なという意味があり、精神性が高い姿を現している言葉だ。

では、精神性が高いとはについて考えてみよう。赤ちゃんの成長というのは、まずは初めに他者から育てられ、大人になるにつれて、自分1人で行動がとれるようになり、やがて、赤ちゃんのような幼い精神に対して、支える側にたつ姿として成長を向けていく。

大人になっても、他者から甘えたいという思いを抱く人もいるであろう。中には自分の事しか考えない人もいる。このような人達は、精神的な成長の意味で、成長を成し遂げていない姿として、精神性が低い、スピリチュアルが低いと判断することができるのだ。

スピリチュアルそのものの言葉は従来からある言葉であるが、この言葉を積極的に世の中に広げたのは、霊能力者の江原啓之氏である。

高級霊というのは、精神性が高いため、人のために悩みを抱える人に貢献をする思いがある。中には、なぜ自分自身の利益にもならない行為を、高級霊は霊媒者に憑依行いメッセージとして現世に伝えるのであろうかと思われる人もいるであろう。

それは精神性が高く、人に貢献する姿が、自分自身の価値ある姿としての思いが高いためである。

霊能力者の江原啓之氏は、霊媒者であり、高級霊からのメッセージを届ける姿として、スピリチュアルという言葉を扱い、スピリチャルカウンセラーとして活動されたのだ。

一般の人からすれば、スピリチュアルカウンセラーとしての肩書きを持つ中で、スピリチュアルというのは霊的な力を現しているように見えてしまう場合もあるだろう。スピリチュアル=霊感と考える人もいる。

霊感が低い人でも、ボランティア活動などに積極的に参加をし、スピリチャルが高い人も数多くいるのだ。

インターネット上では、スピリチュアル=霊感として考え、それを多くの人たちに伝えてる人もいるであろう。

江原啓之氏は、高級霊感のメッセージを価値ある内容として、できるだけ、霊的な姿を多くの人に受け入れてもらうために、または従来の霊能力者のイメージを払拭する目的として華やかな姿を演出もされていた。

ここでまた勘違いされる人が現れ始めたのだ。スピリチュアル=華やかな世界と考える人達たちである。スピリチュアルというのは、自分自身に暖かさを与えてくれる素晴らしい姿と考える人も現れた。

自然の法則は、支えあう、与えてもらう、与える姿によって、世界が均衡に保たれている。江原啓之氏が最も伝えたい内容というのは、精神性の成長を高め、相手のことを考える思いを養う姿であろう。

自分のことしか考えない人は、現世に執着行い、悪霊や浮遊霊になる人もいる。高級霊の役割には、少しでもそのような霊を生み出さない役割などもあるであろう。

このような内容を伝えると、江原啓之氏の活動を認め、江原啓之氏を尊敬していると思われるかもしれない。

私は、東洋思想の知識を多少持ち合わせている。東洋思想には、女性がいれば男性がいるように、陰があれば必ず陽があると考えるのだ。

つまり、全ての人に、陽として真実を伝えるということは不可能であり、必ず逆の力が働き出す可能性も高まる。真実を多くの人に伝えるのは、世の中のバランスを崩し、この世が崩壊してしまう
可能性も高まる。

東洋思想では、陽が強すぎたり陰が強すぎたり、陽が弱すぎたり、陰が弱すぎる行き過ぎる状況は崩壊を招くと考えられているのだ。

私個人の勝手な解釈であるが、仏教の中の密教というのは、その教えに真実が近く、私個人は、多くの人々に教えてはならない、秘密の教えだと考える。秘密仏教と呼ばれる場合もあるのだ。

ただし、江原啓之氏の活動をすべて不定してるわけでもない。実際、江原啓之氏の活動によって、霊能力者も活動しやすくなり、霊的に悩まれている人も、霊能力者に相談しやすい姿が現れたはずだからである。

全ての法則においてはバランスが大切である。真実に近づくとバランスが崩してしまうかもしれない考えに対して考える場合、バランスというのは本当に難しい内容だと考えさせられる。



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あの世、天国での食事はどの様になっている!?  あの世 天国 食事 

 霊的な内容、スピリチュアルに関心が高い人の中には、天国での世界、あの世の世界における、食事の事情というのはどのようになっているのかについて関心があるのではないだろうか。

体を失っているため、体を維持するための食事は必要ないだろうと思われるだろう。

私が知る限りでは、食事は必要ない。必要はないが、食事をすることができないわけでも無いのだ。

食事をする中には、条件反射によって、食事をしたい欲求が現れる場合もある。例えば、食事を目にしなくても、午前12時の15分まえや30分前になれば、食事をしたくなるような状況が起きる場合もあるであろう。

毎日同じ生活を行っていれば、頭の脳はそれを学習し、午前中に次の15分前や30分前の時計の針を見れば、胃の消化液や唾液の分泌を増やし、食事に備えようとするのだ。

それは体の生理反応としてではなく、その思いは、心にもしっかりと刻み込まれる。

あの世の食事事情について説明する場合は、あの世には時間という概念があるのかないのかについても考えなければならないだろう。

あの世にも時間という概念は存在する。時間というのは、何も地球上で地球が自転したり、公転することだけが時間を作ってるわけではない。変化が生じるところは、どこであろうとも、時間という概念は存在する。極端な話、神々がいる世界においても、時間という概念は存在するはずだ。変化のある世界には、必ず時間と言う概念がある。

つまりあの世にも時間があり、お昼があるかはわからないが、少なくてもその時間帯になれば、食事をしたいという思いが湧いてくる場合もある。

更に言えばこのような考えもあるかもしれない。食材は一体どこから手に入るかという考えだ。

あの世 天国の世界というのは、現世における情報をもとにした内容で作り出されてるとも言われている。そのため現世にある様々なものは、一瞬で、手に入れることができるのだ。私が知る中では、あの世にも様々な世界があるが、初めて訪れた人の世界は、現世におけるレプリカの世界だと言われている。

少し話は脱線してしまうかもしれないが、なぜ現世に生きている私が、あの世の事情について知ってのか疑問に思われるかもしれない。

もう既になくなってはいるが、過去の力のある霊能力者が、亡くなった人とコミュニケーションを行う中で、あの世の事情についてまとめられた本があるのだ。その中の一部を、紹介させていただいている。

あの世の世界には、現生で初めて訪れた人を対応する人がいる。輪廻転生を繰り返す中で、初めてとは言い切れないかもしれないが、亡くなった後、亡くなった人を世話する人がいるのだ。

その対応をする人が言うには、食事というのは絶対必要ではない内容であるが、亡くなった人が、あの世で対応できるように、食事というものが出される場合もあると説明されている。

徐々に、食事というもにが必要が無いことに気づき、食べる行為を行わなくなると説明されている。

体を持ち合わしていないため、お腹いっぱいになるような満足感はないかもしれないであろう。ただし、心がある程度、体に必要なエネルギーをどれだけの量を食べれば十分か知っているため、初めのうちは満足感がある可能性もある。徐々にその思いが変わってくるのかもしれない。

このように考えれば、もしかすれば、身体を通してより実感ができる、この世の世界の方が天国と呼べる可能性もある。

あの世の世界における食事事情とは変わるが、食べ物としてのお供え物は、しっかりとあの世へ届いているのかについての話も必要であろう。

あの世の世界は数多くあると言われて、その世界によっても話は変わってくるかもしれないが、現世に近い世界であれば、情報としてしっかりと届いてる可能性も高いであろう。味としての実感は、しっかりと届いてる可能性も高い。

ある番組で、霊能力者の江原啓之氏が出演されていた。家庭に訪れ、亡くなった人の魂について語る内容である。小さな子供が亡くなった家庭においては、大好きである、あるジュースを欲しがっている。それを供えした方が良いと説明され、現世では飲んでいないようにも見えるが、あの世においては、気を味わうことができると説明されていた。

この気というのは、この世を真似た味としての情報の姿だろうと私は考える。
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